ろじかるんるんものがたり

病人が特に何も書かない。無駄だからだ。

感動の共有は難しく価値に乏しいということ

誰だって、意を得たり!と思うようなことが大小さまざまにあって、大きなものはある種の感動に近い感覚を覚えることもある。それはまあ別にいいんだけれど。

 

得た物ではなく得た体験、感覚を共有しようとする人間がたまにいる。感動や幸福といった類のものの押し付けは、悪意はないのだろうなあと思うけれど矢張り面倒なことが多い。美味しいランチが出る店を見つけた、みたいものなら別にいい。口に合わないかもしれないけれど。本人にしか大してメリットがなかったりすると、さてどうしたものかという気持ちになる。適当に相槌をうってごまかすのか、拒否するのか。優しさと誠実さのトレードオフについて考えるのも億劫なので、何だかんだ最後は拒否してしまう事が多い。ボクは優しくない。誠実でもないが…うーん…

 

兎に角気持ちが高まって人に何か物を勧めたくなったら、一度冷静になってそれが本当に相手のためになるかを考えたほうがいいということで、まあでも気持ちが高まっているときは大体人間は判断を誤るよなあ難しいなあという話です。一応断っておくと、ボクがやらかしたという話ではないです。