ろじかるんるんものがたり

病人が特に何も書かない。無駄だからだ。

病人の一日

今日は 10 時前に起きた。

起きたといっても、ボクが言う起きたには色んな意味がある。睡眠から覚醒した。布団から出た。布団から出て薬を飲んで薬が効き始めて動けるようになった。最後の意味で使うことが一番多い。最後の状態になる前に「起きた」をいう相手はいないし、ツイッターにツイートするくらいだけれど、ツイートしても大して意味はないし疲れるだけだ。今日は珍しく、覚醒してすぐ体調が良かったので、起きた旨をツイートした。服用している薬のうちの一つが四時間ほどしか効果がないので、効果が切れて痛みで目覚めればよく眠れず、眠りすぎれば起きる頃にはあちこち痛い状態になる。寝ながら薬が飲めればいいのに。

薬が効くまでは大したことはできない。ツイッターを見ていた。
今日も人々は自分の想像力のなさを認められずに騒いでいた。うんざりして、いい加減認めろとツイートした。誰が誤りのない人生をおくれるというのか。そんな聖人が現実にいるわけがない、馬鹿馬鹿しい。誰だって間違えたり、他人を傷つけたりすることはある。それを認め反省するところから始めないといけないのに、お前のあれはポリティカルコレクトでない、それはポリティカルコレクトでない、そんなことばかりいっている。一見正しそうに見える物事も、見方を変えれば間違いになったりする。主観の相違、見解の相違。命題論理程現実は単純じゃない。それなのに、一々あげつらって、最後にはポリティカルコレクトとは、なんて話をして、お前のポリティカルコレクトは正しい正しくないなんてことを言いあって、それで何がどうなるっていうんだ。
皆さんが自分の健康を主張するようなツイートをする度に、ちくりちくりと痛むボクの心は、体は、一体誰がケアしてくれるんだ。勿論そんなこと本気で望んでいない。自明に無理だとわかっているから。ボクだって、誰かの心をきっと痛め続けているんだろう。少なくとも母がボクの体調の事をずっと気に病んでいることは分かっている。

今日も人々は自分が愚かだということを認められない。

母に心配をかけたくはない。良くなりたいけれど、現実にはどうにもならない。土曜だかに浅草にいってひいたおみくじは吉、病は治るでしょうとのことだった。ボクは、母が自分のために、夫婦で旅行へ行く先々で、お守りだとか、何をすれば願いがかなうだとか、そういうものに縋っていることを知っている。母は別にオカルト信仰者ではない。多分母の気持ちの問題だ。その気持ちの強さに、ボクの 100 円のおみくじがかなうはずはなく、きっと今年も、来年も、再来年も、ボクは病人なのだろう。
ザコンだと思われるかもしれないけれど、どちからというと父親が何考えているのか分からないので、家族について話すとき母親の事しか書けないだけだ。お互い変わり者のようだから、お互いにこいつ何考えてるか分からんと思ってるんだろう。
自分の家庭は世間一般に比べれば恵まれていたと思う。その家族の父子ですらこうなのに、分かり合えるわけない。なんで皆分かり合えるなんて思っているんだろうか。もしくは思っていない、はじめから与えられた武器で相手をやっつけたいだけなんだろう。うんざりする。

閑話休題。母の話以降はこれを書いている今考えたことだ。時系列的には飛ばしていい。

人間に心底うんざりしたあと、記憶がブツンと消えてなくなっている。朧気に覚えているのは、良かったはずの体調が急に悪くなって、あちこちが痛み始めて、動けなくなる前に、何か食べてお薬増やしたほうがいいかな、とか考えていたような…体中のあちこちから発せられる痛みに耐えられなくなって、どうしようもなく、気が付いたら眠っていた。
起きたら、あわれキーボード(HHKB Pro 日本語版)は miniUSB ケーブルをはずされ、床に落ちていた。位置的に自分がふっ飛ばしたらしい。こんなだから miniUSB ケーブルばかり三度も買いなおす羽目になる。兎にも角にも、まず薬を飲んだ。充電スタンドにない携帯を、痛みを我慢しながら苦心して探した。矢張り床に落ちていた。視界の中に入っていたはずなのに認識するのにずいぶん時間がかかった。痛みがボクのすべてを緩慢にしていた。
アプリケーションで今日明日の気圧の推移をみる。見た時点で、数時間前から下がり続けていた。しかもアプリケーションの予想(この数値はどこからきているのだろう)が正しければ、明日の昼まで下がり続けるということだ。地獄だ。地獄がきてた、という旨のツイートした。いつもは気圧が下がっているときは、アプリケーションのスクリーンショットとともにツイートするのだけれど、それをする気もないほど疲れ切っていた。寝てたのに何で疲れるのかというと、寝ている間も体は痛みと、そこからくる緊張に襲われ続けているからだ。ひどい時は一日寝てるだけなのに、緊張し続けた筋肉が筋肉痛になったりする。痛みと同居している。

今日のボクは使い物にならないなと思いながら、TODO リストにどうしても今日やらないといけないものがないかを確認する。ない。横になる。ピンポンと、来訪者を知らせる音が鳴る。難儀して玄関までいくと、テレビアンテナの調子の確認で云々の日程が決まりましたといわれた。そういえばそんなことをすると前にも人がきて、言われたような…日程は大変都合の悪いものだったので、どうしたものかと思ったけれど、変更はできないのだろうなあと思っているうちに、話は終わって帰られてしまった。同じ階には今は誰も住んでいない。目下の問題は、この部屋が散らかっていて、掃除も最近できていないことだ。ここに業者の人を入れるのは忍びない。どこかのタイミングで最低限の掃除をしようと思い、TODO リストに追加した。

そのあとも、矢張り何をしていたのか思い出せない。痛みに打ち勝つぞという強い意志があるときでもないと、気圧の低下でボロボロになった体が発する痛みに、ボクの思考や理性は全く敵わない。ゲームをしようとしていた気もする。そうだ、そしたらアップデートを要求されてうんざりしてやめたのだ。今みたらアップデートは終わっていた。

それで今これを書いている。もう日付が変わる。これが病人の一日だ。勿論今日は特別に悪かった、ここまで悪い日はそう多くない、と思う。良い日もある。

疲れている時は悪いことばかり考えてしまう。痛みに耐えて、無理にでも眠ってしまうのが一番いい。んだけれど、寝ていたものだから眠気が一切ない。どうしたものか。もしかしたら病人の一日はこれから始まるのかもしれない。大層長い一日だなあ…

普段は兎も角、こういう日は、冗談抜きで要介護状態だと思う。結局ご飯も食べられていないし。これが毎日続くのなら違うのだろうけれど、そうではないので、ボクは生活保護以外に受けられる社会的なサポートはないらしい。ご飯も食べられない、まともに動けない、何もできない病人が、信じられる、想像できるだろうか。

これを読む前に想像できた人間だけがポリコレとやらで人間を叩けばいいんだろう。右わき腹の辺りが痛い。何か食べたい。指も疲れたし終わる。