ろじかるんるんものがたり

病人が特に何も書かない。無駄だからだ。

痛みの借金

はい。今日はこれについて話したいと思います。なんかかしこまってしまった。

頚肩腕症候群というのは、勿論症候群なので一般には何もはっきりしないわけですが、自分の症状は非常に厄介でとても困る。
一番説明が難しくかつ困るのが、症状を一番辛く感じるのが「休んでる時」というもので、これは健常な人間の直観に反する(いや自分の直観にも反する…)わけですが、そういうものなのでどうしようもない。
休んでると無限にしんどく、痛くなります。休むと症状が悪化する…ということではなく、本来感じるべき体調の不良を、心身ともにしっかりと休んでいる状態でしか感じられていない、という話だと思われます。それだけでもなさそうなのですが、面倒なので無視します。

ところで、人間には様々な局面で痛みや恐怖を感じなくさせる機構が備わっています。最近だとサッカーワールドカップでゴールを外した選手がヘラヘラしてる!笑い事じゃないだろ!等の批判があったようですが、あれはストレスに潰されないようカバー機構が働いてるわけですね。あとは、崖から落ちかけたのにその事実に笑ってしまったり(実体験)、もう食べられないを三回くらい超えて食べると無限に楽しい気分になって笑いが止まらなくなったり(実体験)、そういうのです。良い子は真似しない。
前述した例はどれも極限的状況におけるものですが、そのような状況でなくとも、働きの大小はあるものの様々な状況で機能しているものと思われます。なんとなく面倒な物事も、一度手を付け始めるとやるぞーシャキッとなる現象がありますが(ありますよね?)、これも似たようなものです。
兎に角、人間の心身というのは、状況に合わせて頑張れるようにできている。よくできてますね。

しかし、その頑張るための機構が壊れて、ちょっとおかしくなってしまったとしたら…というのが恐らく現在の自分の状況なのだと思います。ほんまかいな。でもこれが仮説としては一番妥当そうなので、今のところそういう認識です。
壊れてしまっているので、少しやる気になった途端に痛みやしんどさが嘘のように緩和される。しかし所詮は認識を歪めているだけなので、一定以上頑張ろうとすると限界がくる。限界がきてまた休むころには、借金のように貯め込まれていた負担が一気にワッときて死~~~です。その結果、薬を飲まないとしんどくなるのにしんどくて薬が飲めない…みたいな地獄に陥ったりする、助けてくれ。介護、介護がいる。
頚肩腕症候群が重症化してしまう人の特徴というのがいくつかあるのですが、それらは大体「多少の無理が効く」という性質に繋がるものなんですね。真面目だとか、責任感があるだとか、集中力があるだとか。慢性的に「多少の無理」を重ねた結果、頑張るための機構が壊れてしまうという話なのではないか…と思っているのですがどうでしょうか。どうでしょうかってなんだ。
仮に正解だったとして、どうすれば治せるんでしょうね。

あと、このような状態だと当然人と会う時とかは、一見元気だし、本人も元気なつもりなので、オッ元気じゃーんみたいになるわけですが、大抵帰宅したら即死します。
まだ在宅勤務がメインになってなかった頃は、最寄り駅のホームに降りた途端に死~みたいになってたのですが、ここ数年は自宅に帰るまでは死~にならなくなりました。これは、在宅勤務を続けた結果、頑張りフラグの条件が変化したということなんでしょう。自宅以外、何ならベッドの上以外は戦場だ、と心身が認識している…怖すぎる、やめてくれ。

ただ上のような話だけだと、理解に苦しむ痛みの分布図や、難治性の説明がちょっとつかない。本来休むべき状況をきちんと認識できないというのはあるのですが、それにしたって休んでるときのしんどさや痛さが尋常ではないし、そっちの方もちょっとおかしくなってるんじゃないか…おかしくなってなかったらとしたら怖すぎるが、そうとしか思えない…という話が別にあります。こっちについては、今のところそれらしい仮説すら全く思いつかない。痛みが発生するメカニズムとか色々調べたんですが…医者が分からないものが素人に分かったら世話はないわけです。具体的には左手が痛かったはずなのに、気が付いたら右手が痛くなり、お腹が痛くなり、足まで痛くなってしまいました。なんで???わからん…なんもな…

特にオチとかないですが、もし自分と会うようなことがあったら、一見健常に見えても、こいつは自分が無茶してることも自覚できない大馬鹿者の病人なんだなあ、と認識して貰えると助かります。あと甘いものでも奢ってもらえれば…
昨日パンケーキたらふく食べたのにもう甘いもの食べたい。甘いもの依存の話も、気が向いたら書きます。

おしまい。